最近の鉄道ファンを称して、撮りテツとか乗りテツなどという言い方をするそうですが、ちょっと前までは鉄道オタク、ずっとさかのぼりまして私の子供時分(昭和20年代から30年代)は「鉄道キチ○イ」なんて呼ばれておりました。何もなかった時代ですから、狂ったようにとりつかれていたのを記憶しております。
東京神田の万世橋に交通博物館があったころ、自作模型の運転会が定期的に催されておりまして、自慢の151系を走らせたときには設計者にでもなったような心持ちで、今思えば、人生で最も成功した瞬間にいたのではないかと密かに思っている次第であります。
当時はHOゲージ(1/80)が主流でしたから、いま流行りのNゲージ(1/150)とは比べものにならないほど、詳細な作り込みを競い合う時代でした。
Oゲージ(1/45)の真鍮模型を持ち込む大人たちはエイリアンのような存在で、技術力の高さを見せつけられるたびに、この領域には踏み込まないようにしようと友人同士で了解し合ったものです。小学生には小学生の意地がありましたからねぇ、あの頃は、、、。
ところが、友人に贈られてきたOゲージの蒸気機関車を拝謁させていただいた日を境に、誰が離れていくともなく私たちの模型仲間は解散状態となりました。
その後、《縮尺1/45の精巧な模型》に対抗するには《実物》そのものをつくるしかないという妄想に駆られ、ひとり操車場で現物の感触に陶酔しながら、細部を採寸することに喜びを感じてしまうという、いま思えば、とても気持ちの悪い子供になろうとしていたのでありました。
現物幻想に足を取られて身動きがとれなくなってきた頃、1/10ライブ・スチームを製作している現場に呼ばれたことがありました。本物に最も近いスチール模型だと言われているだけに、それはすばらしいものでした。でも、やっぱり実物には負けているなという観想を強くしただけで、ますます幻想の深みにはまっていく私でした。
しかし、どう考えても《本物》は作れそうにないのです。(当たり前のことですが)
そして物心がある程度つくようになった頃、なお妄想状態は続いておりましたが、これまでずっと見つめてきた先に求める答えがあることを察しました。
実物と《同じかたち=原寸》を求めて模型を製作する過程で、材料(今回の場合はダンボール)の特性を生かすためのデフォルメの技術が、ときとして、実物とはやや異なるかたちを生み出してしまうことがあります。そのかたちが意外にも、実物よりも美しかったり、格好がよかったりする場合があるものです。また、縮尺模型では無視することの出来る構造や機能のありかたも、原寸模型では形態が少し異なるだけで別物になりかねません。むしろ、実物以上の構造を作り出すことだってありうるのです。そこで、現物に対する模型のもつ従属性に主体性を添加させることで、実物を超える形態や機能が発見できるのではないだろうかという、原寸模型に対する私なりの理由付けがここにデッチ上げられたのです。
かつて私の心を蝕んだ現物幻想からの脱却宣言に、私は心の底から満足したのであります。
あれから50年。紆余曲折、試行錯誤、七転八倒の末、原寸模型はようやく姿を表しました。平成25年12月のことです。
かつて私の本職が建築の設計業務だったこともあり、ダンボールで模型を作るちょっとした技術のようなものが手についていたので、勝手知ったる梱包用の段ボール箱を主要材料に選びました。
平成26年(2014年)1月 しま ひでお